[ 倫理的経済的 ]
 


 トランスコミック Q&A

 「大量生産、大量消費はなぜいけないか」ということについての質問です。

 私は20代の頃、ある東南アジアの国に旅行し、日本へ帰国したとたん、ものすごい疲れを感じ、日々の生活になじむまでに時間がかかった覚えがあります。その疲れは、その時も自覚できていましたが、消費せよ、それもなるべく高いものを、という日本の国全体から発せられる声に対してだったと思います。

 家にいればTVやラジオから絶え間なく発せられるCM、外にでればおびただしい数のしかもカラフル過ぎる商品の数々。そして街頭の看板たち。それから意識せずとも目の中に入り、潜在意識の中に忍び込みます。「買って欲しい、買って欲しい」という声と共に。一方で、雑誌やTVは一般のOLなどには買えないような洋服やバックを紹介し「これはいいもの、こういうものをもってこそおしゃれ」なんてことをクールに語ります。そんな高価なものが買えない女性の方がずっと多いにもかかわらず。

 そして、「買えない」女性達のストレスは、情報発信者の想像以上のものがあるのです。また、高価なものでなくとも、「買って欲しい」という声を意識せずとも聞き、そのようにしていたら、同じくらい捨てなければいけない。こうして、大量生産、大量消費の社会に飲み込まれていっているのだと思いますが、実は私は買うのも捨てるのも好きなのです。もっと言えばどちらでもストレス解消を感じることができます。書いてて気がつきましたが、ある面でちょっと気持ちが病んでいるのかもしれません。

 五木寛之さんの「愛について」という本の中に、自分がいなくなれば主人は新しい車が買える、と長年の愛車が自らぶつかって自殺をはかったという箇所があります。ものにも魂が宿るということですね。本来なら、人間は物の魂の声を聞きながら、大切にしてじっくりと付き合ってきたのではないでしょうか。そこに、五木さんは、人間と物との愛の交流があるとおっしゃっています。

 それが、ここほんの何十年かですっかりと様変わりし、ものを大切にしなくなり、気軽に捨てることに罪悪感も感じなくなってしまった。それと比例して人の心も枯れてきたのではないでしょうか? 大量生産、大量消費と人間の精神の枯渇、それらは決して無関係ではないと私は思います。しかし、誰もがものを大切にしてじっくりと付き合っていったら、景気はよくならないだろうし、私たちの生活レベルのも跳ね返ってきますよね。この矛盾を解消する方法はあるのでしょうか? 

 

 プチトマトさん、こんにちは。トランス・コミック・エクスプレスのネギです。

 ちょっと誤解を呼ぶかもしれませんが、女性のお洋服の大量消費は、たかが知れています。もちろん、購入不可能な多額の品を欲しくなってしまうのはそれぞれ大変でしょうけれど。。。本質的に問題なのは、主に自動車、電気製品、ですね。それと、産業廃棄物と軍事製品でしょう。

 これらの生産、消費、廃棄、におけるエネルギー消費率、廃棄物量の大きさは群を抜いています。ついでに、自動車、軍事製品によって人が殺されます。

 産廃にかんしては、日本は特に生産設備入れ替えの非常に早いサイクルによって高度成長を達成した、という歴史もあり、特に多く出ます。これははっきり言って無駄です。代わりに、東京湾に、大阪湾に、砂浜を残しておいてくれれば、遠くの海岸まで行く無駄な交通費を出費する必要も無く、安く、人生を楽しめたでしょう。

 「景気をよくせず、生活レベルに跳ね返る」と言う場合、どのような人生が本当に必要なのか、幸せなのかを考える必要があるでしょう。とはいえ、こういうのは社会的な合意が一般的にないとだめなので、難しいですね。たった一人が、あるいは、数名が、海岸に工場を作って経済発展を目指すよりは、多少金が無くても砂浜の海岸があったほうがいい、というようなことを言ってるだけでは仕方ありません。フランスとかは、バカンスを取らないと怒られるらしいですから。日本では長期休暇をとると怒られる。。。。

 と言ってもフランスみたいに遊ぶだけでなく、ボランティアや、ちょっと違った興味を通した新しい人間関係を作り出す時間、なんかに使ってみればいいわけです。日本人は働きたがりですから。

 こういう新しい関係が、また今までとは違った需要を生み出し、かえって持続可能な経済発展を可能にさせる可能性もあります。とくに、敗戦の後荒廃した日本を立て直すために、砂浜より工場を港湾を、という高度成長期時代の考えも今では時代遅れになっていますからね。新三種の神器、と相変わらずやっていますが、本当に「必要」に根ざした「需要」なんでしょうか?

● ● ●

 

 しかし、現在の日本はそのように一筋縄ではいかなくなってしまっているのが現状という気がします。例えば、私がかつてその世界をかい間見た広告業界ですが、その中心で働いている人達は「広告は文化だ」と信じて疑わず、プライドをもち、物をいくらでも世の中に送り出すことについて何の疑いももっていないようです。世の中にリサーチをし、昼夜を問わず商品のPR方法を考え、それが報いられたときは至上の喜びと幸福を感じているようです。そういう人達に「本当の幸せとは自然が身近にあって、家族との時間が長くもてて・・・」などと言っても聞く耳をもたないでしょう。

 

 「収入」を稼ぐ仕事をしている限り、消費者のデマンドをリサーチし、それを提供して、広告するのは当然だと思います。別に問題ないのではないでしょうか?問題は「何が」デマンドであるのか分かっていないように見えることです。

 逆に私が言いたいのは、これからの広告業は今までのように行かないのではないか。まさに、プチトマトさんがおっしゃるような「本当の幸せとは自然が身近にあって、家族との時間が長くもてて・・・」などというようなことを打ち出していかないと売れないのではないか、ということです。

 昔、公害の反省で環境基準を日本で厳しくしたそうです。それで自動車メーカーは文句を言っていたのですが、それに合うように改良した結果、走行距離ごとの燃料消費量が少なくなり(その分排ガスも減る)燃費がいい、となり日本車が人気を持つきっかけになったそうです。今度のトヨタのプリウス、というのも中途半端な車ですが、これはカリフォルニア州で排ガス基準が極端に強くなるのを見越して作ったものです。

 このように経済というのはおかしなところがあって、一見、経済収益上マイナス、と思えるような環境規制、とかがかえって、経済発展に結びつくことがある、ということです。持続的発展、とか言われているのもこういうものです。私の前の解答の最後に書いた、

「と言ってもフランスみたいに遊ぶだけでなく、ボランティアや、ちょっと違った興味を通した新しい人間関係を作り出す時間、なんかに使ってみればいいわけです。日本人は働きたがりですから。
こういう新しい関係が、また今までとは違った需要を生み出し、かえって持続可能な経済発展を可能にさせる可能性もあります。」

 というのはそういう意味です。一見、経済発展に結びつかないような「自然を楽しむ」「文化を楽しむ」「環境を守る」というのがこれからは逆にビジネスになるのでは、いや、はっきり言って、そういう視点が無いビジネスはやっていけないだろう、ということです。

 私は素朴純粋環境主義ではないので、「ビジネス」という言葉をごらんのように肯定的にとらえています。それは自分たちの頭で状況を判断し、色々考え、新しい創造を行うことです。たとえば田舎で農作業の手伝いをするなんて面白くない。東京に出ておしゃれな生活をしたい、と思う若者がいるのも分かります。しかし、農業をビジネスとしてどうやって良くしていくか、自分にとって意義あるものにしていくか、ということは面白いのです。そのことを知らないし、やろうとしていないだけです。

 もちろん、自分たちでやることはリスクがあります。失敗する可能性があります。しかし、既存の経済構造や大会社に振り回され続けるよりはいいのではないでしょうか。例えば、国内の観光は軒並み不況だそうです。しかし、地元の人材が協同組合、NPOなどを作って、地域の発展を行った、山梨の清里や九州の湯布院などは伸びているそうです。東京の企画会社なんかや中央官僚がこしらえた地域発展モデルなどに乗っかった地域が衰退しているのとは対照的です。もちろん、別に敵対的にやる必要はありませんが(笑)。必要なところは手を借りながらやるべきでしょう。

 ようするに自分たちの頭で考える、という習慣を持つことです。そして、そういうビジネスが実践できる場所を地域に持つことです。さもなければ東京への頭脳流出は続くでしょう。面白くないんですから。そして、東京では過密のために交通量が増し、ヒートアイランド現象が続き、電気の無駄遣いが続くでしょう。

● ● ●

 

 つまり、物を作り出すことを少なくし、経済的レベルの向上も目指さず人間らしい幸福を追うことはこれからの日本の社会で可能なのでしょうか・・・・ということが私にとっての大きな純粋な意味での疑問というわけです。ちなみに私の田舎は近くにゴルフ場ができたおかげでお母さんたちが遠くまで働きに行かなくてもよくなり、とても喜ばれました。

 

 ゴルフ場と言ってもそれぞれ色々なケースがあるので、一概に言えませんが、バブル時代なんかであったのは、あちこち作りすぎて、その後、倒産。後に残ったのは、借金と破壊された自然、というケースです。

 なににせよ、費用対効果なので、それでうまく行ったならうまくいったケースです。それならそれでいいわけです。ただ、ゴルフ場のコスト、と言ってもいろいろあって、大体まともに考えられていません。例えば環境破壊のコスト、農薬による汚染、これが地下水を通って下流の農場に及ぼす影響。

 それから、収益が上がったとして、その収益はその地域にどれだけ残るのか、収益は本社や持ち主があるどこか遠い都市に吸い込まれているのではないか?雇用効果はきちんと地元のニーズにマッチしてるか?パート労働などの雇用はあるかもしれないが休日勤務が多くならないか?パート以外の管理職などは?

 その地域にもともとある、あるいはこれから育てていけるような産業との関連はどうか?それによる経済波及効果はどのくらいか?代替設備を作った場合、あるいは何も作らず、既存の地域にある産業を育てることによっての雇用効果と比べて本当にゴルフ場が一番よいのか?長期的に客が来る見込みが立っているのか?

 などなど、ざっとこのくらいの疑問はすぐ浮かびます。

 それから環境、文化、などはなにぶん主観的な部分がたくさんあるので、費用対効果、と言っても数値化、ようするにお金で測りにくいものです。こういう要素をどう経済で取り扱うか、というのは実際、難しい問題ですね。地方自治、とか、合意形成、とか政治的な要素も考えたり、色々試行錯誤です。ほかにも開発の場合、地元の人間がどれだけ主体性を持てるか、というのが、長期的な地域の発展、それから頭脳労働の育成などに重要な点ですが、これも数値化しにくいところです。


ご意見・ご感想はこちら
人気投票 感想BOX


 
[ HOME ]