[ 国民国家論 ]
 


スターウォーズを題材に展開するネーションステート(国民国家)論。

イラスト・文
:浅輪剛博

 スターウォーズ エピソード2(+5)


 スターウォーズというのはシリーズものである。最初にいわゆる第4のエピソードが作られ、その後、5、6と続き、それからあらためて、最初に戻ってエピソード1、そして2と作られた。スリーズものには大体「恒例の・・・」というものが付き物である。スクリーンが上がるとともに、宇宙空間が広がり、そこにきれいに隊列を作ったアルファベット群が、行進していく。これがスターウォーズの恒例である。しかも、そこには神話・夢物語らしからぬ、俗世間的な、経済、政治状況が語られていたりするのである。スターウォーズは経済・政治的にみて欲しい、と言うことであろう。


 結局のところ、スターウォーズというのは、超能力を持ったジェダイ騎士にまつわる物語、といっていいだろう。このジェダイ騎士というのは、映画では正義を守る偉い人たちなのであるが、見方によっては、実はCIAかFBIのようなものである。数々の星(国)の共和連邦といっても、ジェダイによる情報力、軍事力が無ければもたない、というのだから。彼らは、悪人を追いつめ、スパイをし、盗聴をし、策略にかけたり、暗殺したりする。つまり、「民主主義」といっても「警察国家」の現代政治のよう。
 もちろん映画の中では、あくまでジェダイ騎士は正義を象徴するものとなっている。たとえば、ダライ・ラマそっくりの英語のアクセントで話す(そっくりの文法的間違いで?)ヨーダという人物に代表されて。しかし,何が正義であるか,と言うのは残念ながら,自分がどこの共同体に帰属しているか、ということで決まってしまうことが多い。ジェダイ騎士がいる「内」から見れば正義であることは、「外」から見てもそうだろうか。内側からだけ見ていては分からない。外と内という壁を突き破って「普遍的な」正義にいたる、それは内側の道徳を反映した「正義」という大儀では成り立たない。そのような壁を突き破る正義があるとして、それを倫理と呼ぼう。
 自由、フリーダムといっても、民衆、他民族(星)を支配している、それに気づかないアメリカ民主主義。それをスターウォーズは思い出させてしまうのである。

 また、「スタートレック」という作品もある。これは映画もどんどん作られ、また、何しろいくつかのTVシリーズにまたがっているので、私はあまり知らない。しかし、たとえば、そこに登場する宇宙船、エンタープライズ、というのが、米国空軍(空母)を似せたものであることは明らかである。自由と民主主義の合州国を守るために(あくまで、善意で)世界中を、宇宙中を取り締まるのだ。
 結局、両作品とも現状のアメリカの政治の在り方の範囲でしか、考えれていない。完全に正しいものがあって――それは民主主義と連邦があればいいのであるが――そして、それを守るために強大な情報・操作機関か、軍艦があればいい、ということである。
 スターウォーズに現れてくる全権議長、将来の皇帝パルパティーンは、それと同じで、普通のジェダイの能力では不完全で、更に強力なダークサイド(暗黒界)に入り込むことによって、もっとよりよく納めれる、という話である。言うなれば、国家機構へのスパイだけではもう無力であって、もっとミクロなところで動いているテロリスト組織という暗黒街にも入っていくべきだ、その暗黒と区別が付かないところで行動するべきだ、ということだろう。何しろ資本家連合、商人連合の絶大な信頼がある。つまり、ジェダイ騎士による支配と、シス・皇帝パルパティーンの支配は「比較的」なものであって、絶対的に違うものではない。実際に庶民の生活はこれといって変わっていないのは、エピソード1から6まで見て明らかなところである。

 しかし、エピソード2には、今までのエピソードになかった面白い問題がある。代議制民主主義国家において、どのように合法的に最高権力をえるか、という問題である。たとえば、ヒットラー率いるナチ党は「合法的に」権力を得たのである。
 単なる元老院議員であったパルパティーンは、軍事の全権を持つ皇帝になる過程で、色々な裏工作を行うが、それはもちろん、ジェダイ=FBI−CIAをどう買収するか、その網を潜り抜けるか、ということであって、表面上は、完全に民主主義的に権力を奪取する。それは政治的軍事的外敵を作り出すことによって、危機感を煽られた議会において全権(特にクローンズの巨大な軍隊の指揮権)を手にするのである。それは、たとえば米国で、テロ後、民主党を含めた議会がブッシュ政権に開戦の全権をゆだねたことを見れば、茶番劇などと安心してはいられない。(エピソード3はこの新皇帝が化けの皮を剥す、という事になるだろうが、実際のところ、すべてのカラクリは2において明らかにされているのだ。)逆に「民主主義的」に選ばれるからこそ、民衆が従う全体主義的な権力が出てくるのである。たとえば、韓国の軍事政権は強大な力を誇っていたが、民主主義がなかったからこそ、大衆の支持は得られていなかった。
 パートIIは、よって政治的であって、おもしろい題材である。わくわくさせないとしても、興味がある。もちろん、もっと面白くなれる余地は十分あるが。それに引き換え、エピソード4、5、6 は、いわゆる神話の塗り替えである。それらは非常に楽しめる活劇であったが、おもしろい政治劇ではない。

 では、問題は、これらすべての活劇が終わり、大戦争の後始末と共に、平和的な宇宙を作っていく問題が扱われることになるであろうEpisode 7は、どうなるか、ということである。
 ジョージ・ルーカスは、それを計画していたが、作らない、ということである。それにはいろんな理由があるのだろうが、残念ながら、彼には、新たな政治形態――ジェダイ(FBI−CIA)に頼らず、しかも民主主義で、同時に各惑星間(国民)の対立を避け、またさらに、貿易から生じる巨大な利益を狙う通商会議、などの介入を防ぐような政治形態――など思い付けないからではないだろうか。ルーカスにとっては、Return of the Jedi で良かったのかもしれないが、それでは元の木阿弥だろう。
 Episode VII がありえるとしたら、それはなにか協同グループのネットワークのようなものであるしかないだろう。それは次のような条件を超えるようなものでなければならない。「内」と「外」という区別をどうしても作ってしまう人間の生存条件、それは安心して物を交換できる、信頼できる人々、とそうで無い人々、何か契約をしたら守るであろう人々、商売したときにだましたりしないだろう人々、それとそうで無い人、の間に壁を作らずには生きていけないという問題、こういうことをいかに解決できるか。たとえば、誰でも全く知らない人には警戒心を抱くだろう。それなのに、あなたが平気で全く知らない人が経営しているお店で買い物できるとしたら、なぜだろうか。それはある信頼によって守られている、と思うからである。あなたは壁の中にいる、と。知らない人を警戒し、身の回りだけで生きていたら、そもそも現代の生活は成り立たない。そういう壁を「幻想的に」作り出し、それを「現実的な」暴力――法律、警察力、軍隊――によって保障していくために国民国家が出来てくるのだから。それは実際の「生活」の必要性から出てくるもので、「生活」を無くすわけにはいかない我々には、それを止める事は容易ではない。
 最初に言ったようにこのような「壁」を越えて普遍的な正義を作り出していくような「倫理」、それと安心して交換できる、契約できる「経済」、これらの間を縫ったようなネットワークが生み出されなければ、現在の国民国家を超えた政治体系(エピソード7)は絶対に不可能なものだと思う。たとえば国連というものも、その中に国、という壁を維持している限り、強者が弱者を抑圧するような形になって行ってしまう。

《「世界国家」が、全地球・全人類を包括するばあいには、それはしたがって政治的単位ではなく、たんに慣用上から国家と呼ばれるにすぎない。(中略)それが、この範囲をこえてなお、文化的・世界観的その他何であれ、「高次の」単位、ただし同時にあくまで非政治的な単位を形成しようとしたばあいには、それは、倫理と経済という両極間に中立点をさぐる消費ー生産協同組合であるだろう。国家も王国も帝国も、共和政も君主政も、貴族政も民主政も、保護も服従も、それとは無縁なのであって、それはおよそいかなる政治的性格をも捨て去ったものであるだろう》
(カール・シュミット『政治的なものの概念』田中浩・原田武雄訳・未来社)


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