[ 倫理的経済的 ]
 

利潤を追求する資本の運動はエンドレスである。そこからの脱却は不可能に見える。しかし、その最前線では、その限界もまた浮き彫りにされているのだ。
さすらいの知性派仕事師、ナマイ君がフランチャイズ・チェーンに読み込んだ可能性とは?

 地方経済とグローバライゼーションと

文:生井 勲

最近、仕事であちこち日本中を廻っています。今回は北陸遠征でした。あちこち行くたびに、地方と首都圏とか、そういったお決まりのテーマについて色々と考えさせられますが、これについて最近よく思うことがあります。

首都圏と地方の経済格差というのは歴然たるものがあって、だから地方ではものが売れにくいと考えられてきました。これが営業の常識だったし、企業側の常識でした。
だから、首都を征するものは日本を征する、という調子だったのです。ところが、ここまで不況が長引くと、競争の激しい首都圏でディスカウントして売るなら、地方で叩き売りしたほうが良い、その方が地方の潜在的なニーズをしっかり獲得でき、勢力拡大につながる、という企業の考え方が強く出てきました。その考え方の善し悪しは別にして、その実現を促す経営技術として、フランチャイズ・チェーンはかなり優れている、ということをよく考えます。

地方はお金がないということで、行政的には、資金が流れていく融資制度や財政制度を作り、また一方で、商品や原材料の運搬のためにも道路建設をすすめて行くということを続けてきたということは、今さら指摘するまでもないことです。しかし、なかなか事態は好転しませんでした。商品が首都圏から地方に流れていくために道路が作られ、そしてそれを地方の人々が購入するためにお金が地方に流れる、というのであれば、次第に地方の消費生活は豊かになっていくのですが、商品の流通するベクトルが現実には反対なのです。これが事態が好転しない最大の理由なのではないか、と最近気付きました。現実は、商品は首都圏に向かって流れ、そして行政的に作られた地方へのお金の流れも、やがて民間銀行や大手企業が本社に送金することで首都圏に還流してしまいます。だから、地方には負債だけが残るのです。

そこで、この悪循環を断ち切るためには、実際に商品を地方で売る、ということが最重要課題なのではないかと考えはじめたのです。つまり、地方に向かって流通する商品量を、少しでも多くしていくのです。お金を地方に与えればそれが購入資金となって商品を吸引するだろうというのは、もちろん誤りではありません。が、そうした側面ばかりを強調する考え方は、商品が貨幣に変わるということ、つまり売りという行為にまつわる困難を軽視した考え方です。資金さえ与えればそれは使い切られるだろうというのは、いかにも行政的な発想だと言わざるを得ません。実際に売買契約が実現するためには、売りという行為にまつわる困難を克服していくだけの営業力や経営手腕が不可欠です。資金を地方に流すだけではなく、それを少しでも多く地方における現実の売買契約に役立てなければ、地方の消費生活はいつまでたっても豊かにならないのです。地方で多くの売りが実現すること。つまり、地方が消費市場として肥沃なものに変わっていくこと。逆のように見えて、実はこれが最も地方経済に貢献する道なのではないか。最近、そう考えます。では、企業は地方での勢力拡大を願っているにも関わらず、どうして企業はなかなか地方進出できないか。どうして後回しになってしまうのか。

最大の理由は、やはり地方にはお金がないので売りにくい、ということです。しかし、それは、首都圏でディスカウントして売るなら地方で叩き売りしても同じだと考えれば、無視して良い理由です。そう企業が考えてもなかなか地方で売りが実現しないのは、企業側の販売員が地方の人々の潜在的なニーズを捉えきれない、という困難のためです。地方の風習とか習慣についてまるで無知な都会人が、地方の一般消費者に直接売ろうと営業しても、信頼を得られにくい、ということです。抽象的に言えば、情報伝達の手段が発達したとはいえ、現実の売買契約の締結に必要な多様な情報を捉えきれない、ということです。また、経営的に見れば、地方に営業マンを派遣したり支社を作ったりするのにかかる莫大なコストを負担しきれない、ということも重要です。
そして、この両者の問題をフランチャイズ・チェーンという経営技術は解決しているわけです。

東北や北陸を実際に廻っても、フランチャイズ・チェーンに所属する小売店は、数多く見られます。それ以外の商店は、ほとんど寂れて開店休業といった趣さえするのも多いのですが、それとは対照的に、地方でもフランチャイズ・チェーンの競争力はかなりのものがあるように見受けられます。そうしたコンビニエンスストアの販売価格は、他の小売店と比べて若干高額であるのが普通なので、やはりお金がないという問題よりは、他の小売店はニーズを捉え切れていない、その技術がない、という面が強いのだろうと想像できます。フランチャイズ・チェーンに所属することで高度なマーケット戦略を手にしつつ、オーナー自身が地方で生活することによって得られれる情報や信頼を利用して、競争に勝ち残っているのです。

また、コンビニエンスストアの店鋪展開は、弁当など主力商品の生産過程の分散化と並行して行なわれていることにも、注目するべきです。弁当などの製造工場の確保された地域に、集中的に店鋪を展開しているのです。その意味では、部分的にではあっても、生産過程の分散化と地方における消費という、「地域循環型社会」の理念に近付きつつあるとも言えます。弁当などの食料品について鮮度の高い商品を提供して顧客満足度を上げたいという経営戦略と、食料品を確実に回転させる高度なマーケティングとが、そうした理念を実現に近付けているのです。もちろん、こうした高度な技術が、容易に地方移転することは難しいでしょう。したがって、地方の弁当工場はフランチャイズの規格に適合した製品を生産しているだけで、その商品開発やマーケット戦略に関する部門は、なかなか地方に移転しません。しかし、そうした高度な経営技術がなければ、「地域循環型社会」に近付くことはもちろん、地方で売りという行為にまつわる困難を克服して、豊かな消費社会を実現することすら難しいのです。売りと買いが繰り返し行なわれなければ、いくら地方に資金を供給しても、すぐに大手企業や民間銀行を通過して貨幣は首都圏に還流してしまうでしょう。むしろ、フランチャイズ・チェーンに集積された高度な技術が、それを克服することに役立っていることに注目するべきだと考えるのです。

そうした技術を無視したまま、地域通貨を普及させることで地方からお金が流出しないようにするという方針の社会運動があります。そうした社会運動は、地域通貨を使うことで「地域循環型社会」の実現を目指すもので、その理念自体は決して悪いものではありません。しかし、地域通貨がたとえ地方で循環したとしても、それは地方固有の独立的な商品市場を形成すること役立つだけで、地方が、首都圏に対抗しうる消費市場として豊かなものに変貌していくということにはならないでしょう。地域通貨を使おうと法定通貨を使おうと、売りという行為にまつわる困難は無くならないのであり、それを克服する高度な技術の修得なしに、地方が豊かな消費生活を送れるようになることは難しいのです。むしろ、安易に「地産地消」を目指すことは、首都圏との経済格差に目をつぶることであり、市場間の格差に基づく剰余価値の拡大にも目をつぶることになりかねません。大きな剰余価値の存在は、その獲得を目指す資本の運動を加速させることでしょう。たとえば、地方では地域通貨を使って生活できるために安い労賃を支払えば済むということになれば、その廉価な労働力を使って商品を生産し、それを首都圏で消費する動きが加速することを阻止できないのではないか、と考えます。世界資本主義の根本問題は、むしろ漸進的にしかプロレタリア化が進まない(ウォーラーステイン)、という点にあるのです。

ウォーラーステインは、ブルジョワとプロレタリアとの階級分裂が世界資本主義の根本問題であるというよりは、むしろ、完全にプロレタリア(賃労働者)として生活するものがなかなか増加しないということが、世界資本主義の特徴なのだと主張しました。実際、高所得を実現している地域では、多くの人々が完全にプロレタリアであり、企業から得る自分の賃金だけで生活しています。だから、こうした地域では労賃が高いのです。ところが、低所得の地域で暮らす人々の多くは、たとえプロレタリアであったとしても、それは半プロレタリアとでも言うべきものです。彼らは、労賃を受取りながらもそれだけで生活するわけではなく、親類や家族との共同生活の中で、商品市場に出ないものを手に入れ、それを生活の糧にしているのです。もちろん、そうした前近代的な生活が悪いということではありません。が、そうした生活条件の差異が、低廉な労賃を可能にしているのであり、彼らに悲惨な消費生活や衛生環境を強要しているのです。そして、そうした経済格差を資本制企業が自ら生み出しつつ、利用していることは、言うまでもありません。

そうした経済格差を放置したまま、地域通貨が地方で商品市場と異なった独立市場を形成することになるなら、そうした安易な「地産地消」の経済は、それに依存して生活する人々を増やすだけで、決して地方経済の転落を阻止することにはならないでしょう。むしろ、地方の人々が完全なプロレタリアとしても生活しうること、つまり商品市場から豊かな商品を得て生活しうること、そしてそれを可能にするだけの賃金を獲得しうること、これが目指されなければなりません。もちろん、実際にすべての人々が賃労働者でなければいけないということではありませんが、まるで首都圏のプロレタリアと同じような生活を送ることができるという条件が肝要だ、ということです。
そうした条件がなければ、資本制企業は地方の労働力を廉価で使うことを止めないからです。さらに突き進めていうなら、そうした条件が獲得されるためには、地方に資金を供給するだけではなく、実際に地方で多くの売買契約が締結されること、つまり、売りという行為にまつわる困難を克服していくだけの高度な技術を地方の小売店が修得していくことが大切だ、と思います。

それは、グローバライゼーションの拡大ということとも意味を同じくしている面があるかもしれません。ましてやフランチャイズ・チェーンのような本部権力の強い経営技術によって行なわれるなら、それは、画一的な商品開発や店鋪運営を免れないでしょう。また、完全なプロレタリアとして生活していく人々の増加は、没個性的な人格を増やしていくことになるかもしれません。しかし現段階ではむしろ、実際に地方でものを売る、という経済的条件をフランチャイズ・チェーンが実現していることに注目するべきではないか、と考えます。実際に売るという事実が、生産過程の分散化をすら、部分的であれ実現していることも忘れてはならないでしょう。たしかにその商品開発部門やマーケット戦略部門は地方移転しにくいし、そうした意味では、地方固有の文化などが、現状のフランチャイズ・チェーンの中で十分に生かされていく可能性は、現在のところかなり低いと言わざるをえません。しかし、そうした文化的な問題は、今後フランチャイズ・チェーンの内部組織の在り方を変更していくことで、ある程度までは解決可能だろうと想像します。ですが、中央集権的なフランチャイズ・チェーンのようなものを一度通過しなければ、その高度な技術が地方のオーナーの手中に落ちることもないのです。

こうした高度なマーケット戦略は、POSシステムを利用した情報編集と、地元生産部門や本部の仕入れ部門からのオーナー店鋪の集団購入、そしてそれに応じた物流システムという、総合的なロジステックスに支えられています。この巨大なロジステックス部門こそが、コンビニエンスストアの圧倒的な競争力の原因となっているのであり、そのランニング・コストを負担することで、オーナーたちは、この巨大な資産をいわば共同で占有していると言えます。

フランチャイズ契約においては、現実に多くの制限があるものの、基本的には、オーナー店鋪はオーナー自身に決裁権があります。したがって、将来、自立心の強いオーナーたちなら、共同占有したロジステックス部門を駆使して、地方独自の文化を生かした商品開発とマーケット戦略とを、生み出して行くことができるかも知れません。地方で豊かな消費生活が可能になり、経済格差が縮小していくだけではなく、様々の地方の多様な文化を生かしていくためには、そうした自立心の強いオーナーの出現と、それを支持しうる制度にフランチャイズ・チェーンを変更して行こうという野心的な企業家の登場が、待たれるのではないでしょうか。地方経済やその文化は、安易な「地産地消」の経済によって自立することはありません。一度グローバライゼーションのごときものを通過しなければならない。しかし、それをグローバライゼーションとして経験するのではなく、換骨奪胎していく独創性が不可欠なのではないか、と最近よく考えるところです。



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