[ 倫理的経済的 ]
 

戦争を止められなかった。ここであきらめて、同じことをただ繰り返しているだけでいいのだろうか。
平和を願う市民ができることはこうです。

「戦争をしないと産業が成り立たない部分」には投資しない、働かない、買わない。
「戦争をすると産業が成り立たない」ように投資する、働く、買う。

文:Choice Smart 

平和・反戦運動の責任


 ある寒い雨の降る日に、東京の街をデモ行進しました。その前の週も、その前の週も、行進しました。そして、東京の街だけではなく、世界中で人々は歩きます。しかし、戦争は止まりません。われわれが歩いてきたのは無意味なのか。そのようなことはありません。が、歩くしか他に方法が無いのか、と聞かれたら、そうではない、と答えます。

 国家がたとえば、ある国を民主化する、という目的(表向き)で、他の国を暴力によって侵略する、という方法をとったとします。暴力的な侵略に成功しながら、ある国がきちんと民主化されなかったとしたら、その国家はどういう責任を取るのでしょうか。多くは何もとらないでしょう。企業や団体みたいに、国家には倒産も解散も無い、ということになっているからです。国家の代わりに2,3人の政治家が失脚するだけで、また新たな政治家が出てきます。

 そのような身勝手な行動に反対するのは市民の当然の反応でしょう。

 抗議やデモにもかかわらず、戦争を実行したり支持した各国の政府が悪い。平和団体にはできることの限りがあるのだから、その範囲でやれるだけやった。

 しかし、戦争を止められなかった。平和どころか逆行していくように思える。そんな時、より有効な方法を考えて反戦、平和を訴えていかねばならない、と平和を願う人たちは責任を感じます。ここであきらめて、同じことをただ繰り返しているだけではだめだ、と。

 さて、抗議によってどうやって、戦争を止めるのだろう。それはたとえば、ある政治家に働きかけて、別の戦争遂行派の政治家に圧力をかけて止める、ということでしょう。国家の暴力的行為をやはり国家の圧力によって止める、ということです。結局国家の意思に頼るしかない。そして国家の決定というのは、軍隊や警察を背景にした暴力的なものであるのです。

 「法の統治」ということがいわれます。しかし、その「法」の権威を守るのは、裁判所や監獄、そして警察という一種の暴力システムです。それぞれの市民がお互いに納得して契約するものではありません。上から押さえつけられる「法」である。この枠組みにしたがって行動するときには一種の暴力性をはらんでしまうのは避けられません。国家が戦争によって国際的紛争を解決したがるのは、こういう暴力性が根底にあるからです。

 ところで、反戦デモというのは歴史上多くおきましたが、実際上成功したことがありません。ベトナム反戦デモというのはとても大規模なものでしたが、ベトナム戦争がおわったのは、その「60年代」も過ぎて、73年はじめです。それを終わらせたのは直接は反戦デモではなく、米国の経常収支が悪化して、貿易赤字が拡大して、どうしようもなくなったからでした。つまり、政府の歳出と貿易の赤字が戦争を止める鍵でした。経済的理由です。

 反戦デモは何度も失敗してきて、そして、今回のイラク侵略でも失敗してしまいました。結局国家が始めるといえば始まるし、終えるといえばおわる。どこにも民主主義はありません、ここには。国連だって無視しようというのですから。

 戦争がいつまでも続いているメカニズムをしっかり分析し、それを止めるにはどういう「方法」が適切なのかをじっくり考えてみましょう。

 たとえば、軍産複合体というのがあります。つまり戦争をしないと産業が成り立たないという経済の構造です。ところが、逆に戦争をしすぎても産業が成り立たないのです。先にあげたベトナム戦争の終了がそうでした。とすると、「戦争をしないと産業が成り立たない部分」の経済を組み替えて、「戦争をすると産業が成り立たない部分」を増やせば戦争は止まる、ということになるのではないか。

 そういう仕組みに変えていくためにはわれわれ平和を願う市民が経済に入っていくしかありません。さて、経済に入っていく、というとき、どういう切り口があるのでしょうか。基本的に、3つです。投資する、働く、買う。

 すると平和を願う市民ができることはこうなります。

 「戦争をしないと産業が成り立たない部分」には投資しない、働かない、買わない。

 「戦争をすると産業が成り立たない」ように投資する、働く、買う。

 そしてこのような行動はわれわれの日常で実行できるし、そして平和的な行動です。道路を汚したり、歩き回ったりする必要もありません。普段車が走っているところに乗り込んでいく必要もありません。(それはそれで楽しいけどね。)普段いくお店で、職場でできます。これこそ地球に優しい平和運動。

 つまり、こうです。

 消費者が製品を買う。→ 企業の利益を政府に献金する。→ 政府は、外国を支配するのに使う。

 これを止めるのには、消費者が特定の企業から買うのを止める、か、企業が特定の政治家に献金するのを止めるか、どちらかしかありません。

 だから、企業にブッシュ政権に献金するのを止めてもらうか、支持しないと宣言するか、そうでなければ、われわれ消費者が買いません、という、という方法です。最初に条件を提示します。それは平和を願う市民なら当然の要求です。それに全く反応しないような企業はどこかがおかしいのです。疑って避けたほうがいいでしょう。

 それは、企業が存続のためにどうしようもなく非倫理的なことをやらねばならないのを変えていく手助けをするようなものです。

 さて、戦争が起こると、罪の無い人々がたくさん殺されます。子供達も含めてです。彼らは経済的に苦境にあるだけでなく、単に命を落とします。植民地の人たちも、また大変な人種差別に苦しんできた人たちもそうでした。そして、そこで非暴力運動をしていた人たちは、多少生活が大変になってでも、この悪循環を止めるために、不買運動を始めたのです。

 ガンジーがそうでした。彼らはインドを植民地として支配したイギリスの綿製品を買わないで、自分達で服を織ったのです。マーティン・ルーサー・キング牧師がそうでした。彼らは黒人への乗車差別をするバス会社を拒否して、毎日歩いて、車に乗りあって、通学通勤しました。彼らの平和的な運動は暴力によって押さえつけられようとしましたが、結局その倫理的な行動が相手の世論も動かして、かなりの成功を収めました。

 本気で戦争を止めたいなら、ピースを作って生きたいなら、他に方法は無いでしょう。後は、戦争無くしてやっていける経済に組み換えていくようにみんなで努力していきましょう。そのためにもトラコミのHPにご期待ください。


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