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[ 倫理的経済的 ]
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ボイコットから遠く離れて |
「買ってはいけない」と言うことは、とってもセンセーショナルに響く。資本主義ステムの整流器たる広告が氾濫している世の中にあって、そこだけ水の流れがかき乱されているからだ、と思う。先日のピースパレード(@日比谷公園)でボイコットフラッグを目にした人はそうした感覚に包まれていたはずだ。そこでは、たくさんの人が、そうそうたる世界企業のロゴマークが描きこまれたフラッグを凝視しては、去っていった。ただし、たいていの人はブツブツと口を動かしながら……。 きっと絶望的なことをつぶやいていたのだろう。フラッグを持っていた私自身がそうだったのだから、たぶん間違いない。あれだけの企業を並べられたら、ほとんどの人がどこかしらで消費してしまうものだ。事実、この原稿を書くのに私は、リンゴマークのラップトップの前に座っていたりするのです。矛盾しているというお叱りはごもっともだけれども、いたしかたないのが現実。何故なのか? それは、モノを消費するという本来とっても主体的な社会行為をきちんといかしきれていないからだ。大きな企業が広告し、誘惑されるがままであって、日々の消費行動がちっともポジティブじゃない。ボイコットをたくさんの人が徹底して実行したら、デモなんか比べものにならないくらいすごい大きな力をもつのは間違いない。それこそブッシュ政権に献金している企業をターゲットにしたら、反戦の最高の武器になる。 確かに、ボイコット(買ってはいけない)を口先だけで終わらせないためには、別のところで買えなければならない。そこでは、必然的に「どこで買えばよいのか」という問いがあらわれる。それに対して、近頃SONYが反戦広告を流しているぞ、とか、WindowsをやめてLinuxsにしよう、とか、個別には色々と言えるのかもしれない。そうしたポジティブな選択は、それ自体、重要だ。けれども、私の関心は現在の反戦アピールのみに向けられているわけでもない。むろん、ブッシュ政権に献金している企業をボイコットすることはひそやかに進行中であって、皆にもやって欲しい。 それは、戦争をはじめとした様々な悲劇を生み出している経済的な世界のカラクリを、どのように代えるべきか、だ。カラクリそのものを見つめ直すことのほかに、「戦後」−それはいまだかつてあらわれたことがない−を想像することができないから。そのためには「どこで買えばよいのか」という個別の問題のみならず、「いかにして買うべきか」という、より普遍的な問題に手をつけていくことになるはずだ。消費者としてやれることは、かなり、たくさん、ある。
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